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差別用語とか放送禁止用語があります。作家の方がそれらの用語が使えないと小説等が書けないと発言・記載しているのを見受けます。
貴方はどう思いますか?

  • 質問者:おほ
  • 質問日時:2008-09-07 01:08:49
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差別用語と言うのはその言葉がいけないのではなくて、使う人に差別意識が有る場合に問題があるのだと思います。それか言われた人の大多数に差別された思いが残る場合とか。
一概にその言葉が使ってあるから悪い作家であるとはいえないと思います。
表現の自由も守られるべきであると思いますし。

  • 回答者:真奈美 (質問から1日後)
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難しいですね。
差別表現もその言葉自体というより使われる背景・意識が問題なんですし。
作家の作品が昔その言葉が普通に使われていた時代を設定している場合、
それ以外の言葉を使ったら却って「時代考証の無視」ですしね。
時代小説で「○○の非自由な人」なんて表現が出てきたら「はあ?」となりますよ。
ですから「一律に規制」というのは反対ですので、そういう意味においては
作家の言い分は理解できます。

  • 回答者:場合による (質問から16時間後)
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デリケートな問題と思います
芝居に三人かたわと、言うのがあるのですが
内容は知ってるのですが、観ることが出来なくて
残念と思うところもあります。
表現のひとつとして、使い分けが出来ればいいのではと考えます

  • 回答者:あい (質問から11時間後)
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差別はあってはならないことですが、言葉だけを問題にするような「言葉狩り」はファシズム的な感じさえします。かつて、筒井康隆さんの書いた小説『無人警察』が取り上げられ、これに抗議した筒井さんが絶筆宣言するようなこともありました。言葉の使われ方をも吟味しないと「寝た子を起こす」結果になると思います。言葉以外でどうみても差別だということはあまり問題にされません。一例をあげれば、夏の高校野球はあれほど取り上げられるのに、同じ時期に開催される高校総体(インターハイ)はほとんど取り上げられません。これは差別ではないのでしょうか。高校球児と同じように汗を流し、努力している高校生アスリートにも光を当てるべきだと思います。

  • 回答者:神経質な男 (質問から8時間後)
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こういう形で「表現の自由」が
奪われるのは問題です。
たとえ差別用語であろうとも
作家が使うのは自由だと思います。
普通に本として出版される場合でも
制約すべきではないでしょう。
ただそのような作品がそのまま
放送されなかったり、教科書に
採択されなかったりするのも
その一方で仕方がないとは
思います。

  • 回答者:みけ (質問から7時間後)
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先日「ブラインド・タッチ」も差別用語だと言われ正直エッー?でした。
私は言葉というのは、そのもの自体より「使われ方」が重要なんだと
思っています。

私が最も好きな邦画『砂の器』でのクラマックス・シーンの中に
「ラ○病」という言葉を用い、主役の刑事役である丹波哲郎がとうとうと
犯人親子の心情を語るシーンがあります。
彼は決して「ラ○」を蔑視して使っている訳ではなく、それどころか深い哀惜の
念を込め語るわけです。
だからこそ、人々の胸を強く打ち、普及の名作と言われる続けているのです。
それをですね、テレビで放送した時、その見せ場を「ラ○」の部分だけ音を
消したんですよ。消そうと言い出した奴は一体何を考えてるんだか。。。。
流石にこれには映画が台無しになったとクレームがいったんでしょう
再度放送されたものは、映画の初めに断り書きが出て消音なしでした。

差別とは言葉に侮蔑の思いが加味され初めて差別足りえるんだと思ってます。
言葉刈りはいい加減にして欲しいですよ。

  • 回答者:プンおじさん (質問から4時間後)
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人それぞれだと思います。
私は祖母から「~」と言われました、楽しく生きています。
差別用語があってもいいと思います。
差別と区別は違うから
それを感じるのは誰でもなく自分だと思っているから
人それぞれ考えればいいのではないでしょうか?
阻害されているほうが頭にきますけど・・・

  • 回答者:雨 (質問から4時間後)
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「差別用語」と呼ばれているものの中には,慣用表現の中に「差別語」とされている表現が含まれていて,他の表現で言い換えることが難しかったり,意味がうまく伝わらないものがあります。そういうものまで「差別用語」や「放送禁止用語」とするのには違和感を感じます。それに色々な言語の歴史を見ると,一度「差別用語」とされたものがしばらく経つと問題なくなったり,別の表現が「差別用語」になったりしています。元々,「差別用語」はことば自体ではなく,それを使う人間に偏見があることが問題だと思うからです。この点は,作家に限らず,私達みんな言葉を使う者として,考えなければいけないことだと思います。

  • 回答者:あ (質問から47分後)
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差別用語・放送禁止用語って、明確に決まってるんですか?
例えば、放送禁止歌というのが一般的にありますが、
放送局の自主規制で、どこかが禁止してる訳じゃないらしいし…。
差別語と言うのも、出版社等の自主規制ではないのですか?

私は、どんな言葉を使おうと、自由だと思います。
差別語を、差別の意味で使うなら、その人は軽蔑すれば値するでしょう。
その言葉によって傷つく人がいれば、それはその作家なり、作品なりに
抗議をすればいいと思うのです。
同じ言葉を使っても、差別を感じない表現のできる、力のある人が
いるとしたならば、それはそれでいいと思うのです。
何でも規制して、表現の自由を奪うのは、あまり好きではありません。
規制のない大人の社会になればいいな、と思います。

個人的な感覚では、「売春」を「援助交際」等とやわらかに言い換え
本質を見失わせるような表現が下品で、我慢できませんが…。

以前、「ちびくろサンボ」という絵本が、出版禁止になりました。
黒人に対する差別を感じるというので。
…あんまりぐるぐるまわり過ぎると、バターになっちゃうよ。
子供の頃、大好きなフレーズで、お気に入りの絵本でした。
誰が考えたかわからない規制で、すぐれた作品まで、禁止されてしまうのは
とても悲しく、コワイ事だと思うのです。

  • 回答者:サンボ (質問から39分後)
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物語などにはそれを最も適切に表現できる言葉ってのはあると思います。
わざわざ避けた言い回しをすれば本当に言いたいことも伝わらなくなると思います。
ゆえに何故禁止用語などが存在しているのか私には理解できません。
差別などの言葉は悪意を持って言葉を紡げば、どのような単語でも差別的となると思います。
それを発する人次第であって言葉に規制を掛けることが正しいとは思いません。

  • 回答者:m (質問から33分後)
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ほかの表現方法があればそれを使うべきですが、そうでないときには
作家の思いが表現できないこともあるのでケースバイケースだと思います。

  • 回答者:いずも (質問から27分後)
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「差別用語」「放送禁止用語」ともに、その感覚と制定過程に問題がありますので、作家の言い分も当然だと思います。
どちらも、一部の人達が、独自の感覚で喚き立て、無理矢理に押し付けているという感じがします。
実際、認定されている用語の中には、私には、一切不快を感じられないものもあります。
どうも、刷り込まれてしまった人達だけで自己完結されてるみたいなので、公に適用すべきものだとは、あまり思えませんね。
それに「イエローモンキー」などは、元々、白人が、黄色人種を馬鹿にして作った本当の差別の為の用語であるにも関わらず、バンド名としては通用したりしてますしね。
所謂、片手落ちに過ぎるところも、容認しがたい一面です。
それに、「差別用語」に限って言えば、言葉の問題ではなく、それに差別の気持ちを込めて発する人間の心や精神の方の問題でしょう。

  • 回答者:ムーチョ (質問から24分後)
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一定の配慮は必要だと思いますが、最近はなんでもかんでも「差別だ」と言う人がいますし、誰に配慮してるのか分からない事もあります。

ですので、時代背景によっては作家の方の言い分は正しいと思います。
例えば戦時中などの話だと、当時は誰でも使っていた言葉が、今では差別用語になってる場合があります。(身障者をあらわすような言葉で色々と。)
しかし作品中にこれは差別用語だからと配慮すると、当時をよく知る関係者や視聴者は「事実と異なる」と感じるのではないでしょうか。
言霊という言葉もあるように、その言葉でしか表せないものもあるはずです。

何十年も前に出版された本なども同様です。
作家本人が亡くなってから、後世の人間が作品の表現を勝手に変えるのは賛成できないです。
作家本人が反論できない以上、もうその作品ではなくなってしまうと思います。

  • 回答者:ヤマト (質問から23分後)
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何のために差別用語や放送禁止用語を使いたいのかわかりません。
その小説家は、なぜ差別用語・放送禁止用語という言葉ができ
使用を自粛するようになったのか、考えたことはないのでしょうか。
もしかして、表現の自由を叫ばれているのでしょうか。

差別用語や放送禁止用語を使うことで、傷つくひとがいることを
考えることが出来ないような人間の書くものを、大勢の人に読んで
もらいたいとは思いません。

また、もしもどうしてもそのようなことに抵触するような
場面を書かなければならないのでしたら、ほかにいくらでも
表現方法は見つかると思います。

それがわからないような方には、是非、小説家と言う職業から退職していただきたいです。

  • 回答者:物干し竿 (質問から17分後)
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回答ありがとうございました。

禁止されている言葉が小説やテレビからなくなっても、差別は減っていないどころか、ネットを見て周っていると増えているのではと思えるくらいです…言葉が汚い人も多いし
規制が有っても、あまり変わりがないというか
(単に色んな一般の人の意見が読めるようになったからだとは思いますが)
最近は言葉や表現への規制が厳しすぎて、例えば真面目に差別を扱った道徳的な読み物等を執筆する際に表現のしようがないのてせはと思います
(比喩や例えでは伝わりにくい部分が有ると思うので)

  • 回答者:g (質問から15分後)
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最近の自主規制は行き過ぎの感があると思います。

差別用語・放送禁止用語、どちらも古くからあり、それらを題材とする場合、避けては通れない場合もあります。

見たくないものに蓋をすればよいわけではありません。

今一度ほじくり返し考える、それも必要なことだと思います。

  • 回答者:ぽん太 (質問から15分後)
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内容にも因ると思うのですが、それらを使わないと小説が書けない作家は始から作家に向いていないのでしょう。表現なんていくらでも変えようはあるはずです。

むしろ差別用語を使いたいなんていう作家は対象を差別したいからであって、差別されている人などに目を向けた作品などとはまったく違うものと思われます。

内容を見ていないのでなんともいえないのですが、ちょっと不可解な発言のように思われます。

  • 回答者:小説家U (質問から11分後)
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回答ありがとうございました。

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